私が大変面白いと思ったのは、昔の患者は医師に一切説明をもとめないことでした。これと似たものに『論語』の有名な言葉に「民はこれによらしむべし、これをしらしむべからず」というのがあります。戦後は民主主義に反する一番悪い言葉のようによく引用されたわけです。しかしこれは大変な誤解でありまして、これにはいろんな注解がありますが、伝統的な注解は「朱子集注」でこの中の注解は「政治の内容とか政策の総てを国民に示して全部理解してもらうことはできない。しかし国民の信頼をかち得ることはできる」という意味です。
『聖書』における医の位置(山本七平)より
最近医療の分野で「インフォームドコンセント」がおおはやりである。しかし専門家が何年もかけて身につけた知識、経験を他人に完全に理解してもらうことは不可能である。「理解は不可能であっても何らかの方法で信頼を勝ちうる事はできる」とすでに2500年前に孔子は言っている。現在の議論に欠けている視点のひとつがこれであろう。
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「論破しても意味のないもの、それは『伝道』と『セールス』である」ーー自己の商品の優秀性を論証し、相手の質問をことごとく論破し、完全に沈黙に追い込んだところで、相手が買ってくれなければ意味はない。だがこの問題は実は「伝道」と「セールス」に限られるわけではなく、すべての交渉において生ずるのであって、理づめで押していって、相手に反論の余地がないようにすれば、それで交渉が成立するわけではない。
ーーでは一体どうすればよいのか。日本でしばしば用いられて来た方法は俗に「ひたすら誠意を見せる」という方法、簡単にいえば相手が「ウン」というまで何回でも足を運んで「もみ手をする」という方法である。
ーー「--結局はマーシャールです。伝道もセールスも、いや交渉も、マーシャールでないと生きない。そんなことは当然でしょ」
ビジネスマンのためのマーシャール(山本七平)より
患者さんに手術を勧める際にはついつい「理づめで押して」しまい勝ちである。しかしもともと相手は「手術」という商品を買いたくないと思っているので、理屈で相手を論破しても全く意味はない。それでは「お百度を踏む」以外に何かいい方法があるのか。ひとつのヒントがこのマーシャールであろう。
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聖書学者リキオッティは、『新約聖書』のマーシャールを次のように規定しているーー
「もっとも卑近な現実から始め、もっとも高い概念を明らかに反映する。それは無知なる者にも理解できるが、学識のあるものには反省を促す。それは文学的なあらゆる技巧を欠くが、人を感動させる力において最高にみがかれた文学的技巧を凌駕する。」
ビジネスマンのためのマーシャール(山本七平)より
では、これに対してどう対処すればよいのか。強い敵意と違和感のため、相手が絶対に受付ないメッセージを、いかにして相手に伝えるか。その方法は一つしかない。これは多神教のローマに進出した初代キリスト教徒が迫害と殉教の仲で会得した方法で、その第一歩は「相手が意識していない相手の前提を的確に把握し、まずそれを破壊すること」である。これに成功しなければ、相手はすべての伝達を拒否して当然だから、これを欠いたPRは一切無駄なのである。
「常識」研究(山本七平)より
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