2009年10月26日 (月)

旧山本書店

平成21年10月6日市ケ谷の旧山本書店を改装したカフェ&ヨガスタジオが開店した模様。「燕STUDIO(ツバメスタジオ)」(新宿区市谷本村町、TEL カフェ=03-5229-3566、スタジオ=03-5206-7756)http://ichigaya.keizai.biz/headline/700/

うーん。時が経つのは早い!

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2007年5月 7日 (月)

山本書店の閉店

Photo_16 山本七平読者連絡会のホームページによれば2007年3月31日をもって株式会社山本書店が閉店になったことです。
山本七平読者連絡会ホームページより

ー私のところはいわゆる「営業活動」は一切していないと言うことである。問屋まわりも小売店まわりも一切せず、その交際費はゼロで今まで通して来たし、今後もそれで押通すつもりである。また、マスコミを媒体とする宣伝も全くしていないと言ってよい。一般紙の広告は年に一回か二回、私はこれを「死亡広告」ならぬ「生存広告」と冗談に言っているが、簡単にいえば、「生きていますよ」といった広告で半期の出版予定を潜在購読者に知らせるだけである。

出版企画(山本七平ほか)より

確かにこの20数年間、実に多くの倒産を見、出版界とは倒産の多い所だと思っていた。--だが少なくとも過去において私が見た倒産はことごとく「自殺」であって「他殺」ではない。自殺をすればどんな企業でもつぶれるのが当然、自殺をしない限り、いかなる企業にも倒産はありえない。私は自殺をする気はないから倒産するはずはないが、これは私だけではなく、どんな企業でも同じはずだと思う。

「常識」の研究(山本七平)より

父が亡くなり、葬儀も終わり、父が経営していた山本書店に、大きな赤字の見つかった頃、私は山本書店の二階の父の書斎に篭り、山本書店の暗澹たる未来を考えながら、父の書斎の整理をしていた。

父の膝下で働いていた人は独立し、書店の業績は新刊本のないために落ち込んでおり、私は編集、校正、その他「書物の創り方」を、自らの肉体(からだ)に、叩き込み始めたばかりである。

私は父の書店の出版内容に、必ずしも興味はなかった。

私が山本書店を再興しようとしたのは”評論家”としてではなく「経営者」としての父の名誉(オーナー)のためであった。

山本書店ー父が”口説(くぜつ)”の評論活動以上に心血を注いだ出版社は、父の名誉のために言うが、苦境を乗り越えて現在(いま)も、健在である。

宗教について(山本七平)、あとがきにかえて(山本良樹)より

写真は山本書店のいわゆる「生存広告」。朝日新聞日曜日の第1面の広告費がいくらかは知らないが、確かに「生存広告」であって経済的な効果はほとんどないと想像される。

山本夏彦が「僕は広告出すの、大好きですよ。」(夏彦・七平の十八番づくし)とかつて語ったように雑誌「室内」の広告量は山本書店の数十倍?と思われる。また「家具屋や建具屋は広告なんか見ないだろう」とおっしゃる割には朝日新聞の第1面に堂々とだしておられる。読者層が「家具屋や建具屋」からデザイナー、マスコミ関係者などに広がったということか?toshi

朝日新聞、昭和46年(1971年)10月3日日曜日第1面より

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2006年2月 6日 (月)

山本書店

P1000808 山本書店に続く細い路地

東京都新宿区

市ヶ谷路地裏の終戦時に建てられたボロ家、友人が「終戦記念物」と呼んだ陋屋で、隠居仕事のように気ままに一人で本を造ったり、本を読んだりしていた十年は結構楽しかったし、それが一生続いても何の不満もなかった。

「常識」の落とし穴(山本七平)より

それは多分に性格的なものがあるかもしれないが、市谷の陋屋に蟠踞して、黙って仕事をしているのが、私に一番ふさわしいと思う。いままでずっとそうしてきたし、これからもおそらく、そのまま続いていくことになる。ただ、ぼろ屋に私が一番似つかわしいというのは、まことに困ったものである。

人生について(山本七平)より

初めて山本書店にお邪魔したときは、事前に地図で何度も確認したにもかかわらず相当迷ってしまった。まさしく隠者の棲む家である。

toshi

撮影場所:http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=35.41.15.229&el=139.44.7.866&la=1&sc=2&skey=%BB%D4%A5%F6%C3%AB&CE.x=247&CE.y=271

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